8連投明けで、本来なら月曜日(28日)に休みが取れるはずだった(…でした)です。
その28日、風邪気味でせきこんでいたため、午前11時すぎまでベッドに入っていました。そこへ、ビートルズの名曲「デイトリッパー」のリフがけたたましく鳴り響きました。私の携帯電話の着信音です(テレビ局関係者からの着信音が「デイトリッパー」)。仕方なく電話に出ると…。
「ZARDの坂井泉水が死んだんだって?テレ朝で放送してたけど、なにか知ってる?」
あまりのショックに飛び起きた私は、すぐさまテレビをつけ、会社へ電話。デスクの「仕方ないよな」の一言に、休みをあきらめました。この十数年、サンスポのZARDの原稿をほとんど1人で書いてきたのだから、当然といえば当然です。
ただ、坂井泉水が死んだという衝撃度は、私自身の中であまりに大きく、鳥居坂にあるビーイングへ向かう足取りは非常に重たかった。同社の広報&マネジメント会社、リレーションズの応接室に通されると、そこにはZARDのパネルがずらりと並べられ、机には白菊が供えられていました。スタッフは全員喪服姿。玄関には献花台が設けられ、ファンが続々と詰め掛けかける様子を目の当たりにして、改めて現実であることを気づかされました。
これまでビーイング系のアーティストは、この鳥居坂ビルでスタッフから取材して原稿にするのが常で、直接話したのは愛内里菜1人だけだと記憶しています。ZARDの原稿もレクチャーを受けて書いたことが多かったのですが、3年前に東京国際フォーラムで生ライブを見た感激は今でも忘れません(伝説になった船上ライブもマスコミは同乗することができず、日の出桟橋で客から取材したような記憶が…)。
それまで、彼女の姿はプロモーションビデオの中だけでしか見たことがなく、想像上の人物でした。国際フォーラムで見た生ZARD、ナマ坂井泉水は、その想像を1ミリも狂わせることなく、自分の目の前に存在していたのです。当時彼女は37歳でしたが、20代後半にしかみえない若々しさ、そして美しさ。歌声は清涼感にあふれ、それでいて、ライブに慣れしていないせいか、少し音をはずすあたりなど、自分の思い描いていた坂井泉水像そのままでした。
昨夜、あの坂井泉水が、がんに侵され、最期は転落死という余りにはかない人生の結末を思い返すにつれ、何度も胸が締め付けられる思いでいっぱいになりました。
尾崎豊といい、X JAPANのhideといい、ビートルズのジョン・レノン、そしてジャニス・ジョップリン、ジミヘン…枚挙にいとまがないけれど、みんな若くして、ミステリアスな最期でこの世を去り、その名を音楽史に刻みました。もちろん、作品が素晴らしいから、名も残るわけですが、ZARD=坂井泉水も、伝説となって後世に語り継がれることに違いありません。心からご冥福をお祈りします、合掌。
「負けないで」と「揺れる想い」が1日中、エンドレステープのように頭の中を流れる(…でした)
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by ansund-59
天海祐希の孤独な1日